俺は野木亜紀子にすべてを乗せすぎている/逃げ恥新春SP感想

逃げ恥SP、interestingだと思うと同時にめちゃくちゃ詰め込んでるなあとも思った。なんでそうなるかってシンプルに
事実婚
・選択的夫婦別姓制度の導入待ちの
・共稼ぎ夫婦が
・2019年に妊娠して
・2020年のコロナ禍の中出産育児をする
っていうそのストーリーがもう、その中で起こる出来事を普通に拾い上げてったら怒涛&怒涛で未曾有&未曾有のてんやわんやになるっていうただただそれだけのことなんだけど、まあ事実として駆け足の実録ドラマっぽさはあったと思う。
日本で生きて働いて結婚して子供産むの前途多難すぎ〜少子化心底納得〜〜〜

終わった後感想を色々見ていて、逃げ恥SPを「遅れている」と感じている人が普通に結構いてびっくりした。「進みすぎてる」って思ってる人はもっといっぱいいたけど。2016年の放送当時、私は今よりもっとずっと「後ろ」にいた。その時まだ「NL(ノーマルラブ)」の何が問題か共感できなかったし、その更に前の私は夫婦別姓の意義も理解できなかった(だったら別姓じゃなくて苗字自体なくせばよくね?って思ってた)。だからわたしがめちゃくちゃ変わったのもあるんだと思う。社会に出て働いて、あっ日本社会ってまじで男女不平等なんだっていつの間にか理解した。

連ドラ逃げ恥が放送していた2016年、私は今より後ろにいて、だから逃げ恥はとっても進んで見えたのだと思う。2021年、逃げ恥との距離が縮まった。だからだろうか。不足を感じてしまった。なんやかんやで改姓するのはみくりなのかーとか。いやでもそれくらいかもしれない。
なんか普通に気持ちが置いてかれただけかもしれない。私は恋愛感情はあるけど子どもを産みたい気持ちが全くないから、素直に「羨ましい!!!」と思いながらギュンギュンできた連ドラに対して「頑張ってんな」としかSPドラマには思えなかった。その「平匡さんとみくりさんも子ども欲しくて子ども可愛くて幸せなんかー」っていう、遠くに行ってしまった感じは、「進んでしまった」じゃなくて「離れてしまった」の方。進むのと離れるのは違う。

だから両方、多分。

4年前すごい進んで見えたものが2021年に完璧じゃなかったっていうことにガッカリしながら、素直に羨む恋愛でなくなったことにも拍子抜けした。なんて横暴なんだと自分で自分にびっくりする。
でも同時にマジ現実!と痺れもした。そう、それはそうだ。今の日本でも恋愛ならそりゃあキュンキュンしてられる。それがメインで全然いける。でも子供産むってなったら途端に現実は容赦ない。やりがいと喜びと達成感だけに満ち溢れた妊娠出産育児なんて日本ではとてつもないファンタジーだ。

面白くて羨ましくてときめけてその上正しいものを無意識に期待していた。題材が妊娠と出産な時点でそれは私には無理なのに。なぜなら私は妊娠と出産になんの憧れもないから。
それでも「逃げ恥だからめちゃくちゃときめけるんじゃないか」ってうっすら思ってたんだろうな。無理だよ。ときめきで子どもは産めないし育てられないので。
あと、私が前回逃げ恥を素直に面白がれたのって、自分はどちらかと言うと平匡さんの立場で家事やってほしー!って思いながらガッキーの可愛さにときめいて、三人称の視点ですごく楽しんでたんだと思う。でも今回は上手くそうできなかったな…家に家事全部やってくれるガッキーがいてくれるのは嬉しいけど、現代日本で共稼ぎ核家族として育児するのは全然嬉しくない。前回はすげー可愛い2人にキャッキャしてたけど、今回はすげー大変な2人を固唾を飲んで見守るしかなかった……。

この2021年の東京のどこかに表面的には「普通の夫婦」になったみくりと平匡がいるんだなあと思うとちょっとさみしい気持ちになる。
たとえば長い目で見た時に、配偶者が理解ある人なのなら、「どちらでもよい」のだとしても夫側が改姓することは「より正しい」のかもしれない。それは世の中の正しさに髪の毛一本分くらいでも貢献できるという意味で。
でも今の日本は現にヤバくて現に不平等でそして私たちはその日本で生きている。他でもないこの場所で、他でもない今このときを。
その中で生きてたら、完璧な正義でなくても納得して幸せになれることって絶対ある。人間は自分が生きる社会の価値観に影響されるものだし、結局のところその社会の中で生きていくしかない。妻だけが時短で働くとか、妻だけが苗字を変えるとか、100年後にタイムスリップできるなら跳ね除けられるけどそんなこと誰にもできない。
エンタメとして今この現実の社会を描くこと、その中で生きる人物が現実と折り合いをつけて幸せだと思える生き方をすること。それは間違いではないのだろう。個人の幸せを突っぱねてまで正しくなさを排除するのは難しい。

どんなに憤ったって一瞬で世界を変えることは私たちにはできない。この世界は信じられないくらいの不正義と正しくなさで溢れてる。その中で憤りながらエンタメを表現し続けるのは多分めっっちゃくちゃ大変で、そして何に憤るかは人によって当然違って、だから自分が怒ってるポイントを押さえた面白いエンタメを作ることを他人に求めるのはすごい傲慢だ。何となく私たち、野木亜紀子星野源にそれを求めすぎている気がした新年の夜だった。

普通の男と普通の女

ちょっと前に婚活女性が求める「普通の男」の定義が(悪い意味で)話題になって、「星野源みたいな男なんてそうそういねえよ」「お前自身はそんな高い条件付けられるほどの身なのかよ」と散々な言われようをあちこちで見かけた。
星野源がその辺にいないのは心の底から同感だが、「じゃあこれが普通の女な!」と挙げられていた条件の中の容姿の例が指原莉乃さんだったことにめちゃくちゃ違和感を覚えた。

指原、さっしー

いやそれは星野源の容姿を高く見積もりすぎじゃないか??星野源だぞ。たまにラブストーリーもやってるし俳優だけどどう考えても容姿をゴリゴリに売りにするタイプの人じゃないだろ。男の星野源と対になるのが女だと指原莉乃だとしたらそれは男女で容姿に求められる「標準レベル」に差がありすぎる。

じゃあ誰かなあと考えた時にぱっと浮かんだのがaiko吉岡聖恵ちゃんだった。(ここでaikoが思い浮かぶの違う意味でどうなんだと思いつつ)
うちのクラスで誰が1番美人?って話をした時、多分指原さんて名前あがると思うんだよね。そのクラスに橋本環奈がいたら1番とは言われないかもしれないけど、でも彼女の名前を挙げる人は多分いる。うちのクラスで誰が1番イケメン?って話になった時、多分星野源の名前は挙がらない。そして逆に「あいつだけは無い」と星野源を嘲る人もいないと思う。安心な、親しみやすい顔立ち。わかりやすい「美」じゃなくて、そういうジャッジに掛ける対象にならない人。
それが私の中の星野源の容姿観で、女性にそれを当てはめようとすると咄嗟に浮かぶのがアーティストなんだと思う。

それから、強い匂いがしなさそう。主張の強い香水の匂いも、分かりやすいアロマの匂いも、煙草臭さもお酒臭さも強い整髪剤の匂いもしなさそう。
すごく近づいたらようやく分かるくらいの「その人の匂い」がしそう。これも私の中では指原さんには当てはまらない。指原さんは女の子の匂いがしそう。顔とか髪とか色んなところ全てに気を使ってて、色んなケア用品とメイクが入り交じった女の子の匂い。

とここまで考えて、多分私は星野源さんの容姿にヒエラルキーの外っぽさを感じてるんだな、と思った。誰が可愛いとか誰がかっこいいとかそういうヒエラルキーの上でも下でもない、ただこの人はこの人なんだよなぁっていう、そういうの気にせずフツーに立ってそうな感じ。
これきっとコンプレックスなんだろうな。星野源本人の分かってる感というか「そういうのじゃない」感、フツーの評価軸と外れたとこに価値を置いててちゃんと自分で決めた評価軸で一定の成果上げてる、そういう感じが私はすごく辛いので、それが裏返って星野源の容姿を「一般的なイケメン」だと1ミリも思えないのかもしれない。多分星野源を挙げてる側も普通じゃないと言ってる側も「バチバチのイケメンじゃない手の届く妥協としての星野源」の話をしてるんだろうけど、私にとって星野源はむしろ手の届かない人日本代表みたいなところがあるのでその届かなさへの意識が強すぎて冷静に見れない。
聖恵ちゃんもaikoもちゃんと自分で見つけた自分の個性を持ってて、ちゃんと自分のことが好きそうで、彼女達にも私は勝手に「そういうのじゃない」感を感じてるので思い浮かんだんだろう。

好きな人はすごい好き、でも一般的な尺度で容姿が優れてるわけじゃない、けど劣ってるんじゃない、その人の造形だからこその魅力がある、かといって悪目立ちもしない親しみやすい見た目。

でもまあそういう「わっかりやすい容姿端麗さはないけど自分の好意込みで愛すべき人」みたいな魅力が刺さる人はそこら中にいて、だから星野源には全く手が届かないのは完全に同意です。


星野源みたいな一般人、てなると話は全然別だけどね。あと私にとっては「普通の男」の条件は大して高望みとも思えずマジで普通だったので人の数だけ普通はある。なんなら容姿以外は私自身が普通の男の条件ほぼ満たしてた。私は普通の男だったのかもしれない。

器の大きさ

私は器が小さい。狭量という言葉そのままの意味かと言われると違うかもしれないが、心の容量が小さいのだなあと思うことが結構ある。

心の容量の小ささはそのまま「手元に置いておきたい」と感じるものの多寡にも繋がるようで、だから私はすぐものを捨てる。多分世の中には「捨てる理由があるなら捨てる」人と「持っておく理由がないなら捨てる」人がいて、私は完全に後者なのである。
だから人に何かを贈る時は悩む。心の器が小さい分自分自身が嬉しいと感じる幅が狭いので、自分だったら嬉しくないな、と思ってしまうのだ。他の人は自分ほどではないらしいというところまでは分かっていても、じゃあどういうものなら喜んでもらえるラインに届くかの感覚のチューニングは難しい。
マグカップもハンドクリームも貰っても困る。皿は自分で選びたい。ハンドクリームってそんなに使わないし、マグカップたくさんあっても困るだけだし、ハンカチも気に入ったものだけ使いたい。
なんやかんやで困って、いつも食べ物を選ぶ。食べ物はいい。なにせ食べれば無くなる。なのでもらっても嫌じゃない。自分が貰っても嫌じゃないしな、と思いながら、でも世の中の人はそんなに心狭くないんじゃない?と思い、そう思いつつ普通の感覚が分からないのでこれからも私は使えば無くなるものばかり選ぶのだろう。

今日もものを捨てながらぼんやり思う。普通の人はこんなに簡単にものを捨てないんだろうか。私は冷たいんだろうか。でも捨てる。でも捨てるから分からない、普通の人がどれくらいものを大事にするのか分からないまま今日も生きてる。

胸元にレッドカード/快感インストールの話

これを自担にやられたら本気でキツい。本気で迷う。と頭を抱えた。快感インストールの話だ。

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男性アイドルって客が大体女だからこそ女も人間だって考えに至りづらいんだろうなとは思う。自分にキャーキャー騒いで欲望ぶつけてきて、もしファンのことどんなに好きだったとしても絶対人間の嫌な部分とか汚い部分とかも目にせざるを得ないから。今はエゴサ全くしない人も少ないだろうし、恋愛すんなよとかアイドルなら自分の幸せ優先すんなよとかそういう暴言、アイドル本人の尊厳や人権を踏みにじる発言も死ぬほど浴びてるんだろうから。

それにアイドルだから、女にキャーキャー言われる職業だからこそ男からの承認が欲しいんだろうなって思うことも沢山ある。男のファンのことみんな好きだよね。みんな喜ぶ。それも分かる。ただ疑似恋愛とか顔とか性欲だけで好かれてるんじゃないんだ〜ってみんな思いたいんだろうね。

アイドル本人も人間として大事に扱われてない。分かんない、今は前よりはマシだろうけど、でも今変わってたとしても既に30後半のアイドルたちの価値観の形成期にはそうじゃなかった。時代の変化に価値観を着いていかせられない人が出るのは仕方ない部分はある。

そういうエクスキューズを積み重ねて積み重ねて、でもだからなんでも許せるかって言ったらそんなことなくてそれでも許せないラインはある。当たり前だ。こっちにもちゃんと人の心があるわけだから。

幼稚園の頃のスカートめくりの話、女の子にキスして回った話、レディースデイをどうかと思う話、女子高生に萌える話。時々もやっとしながらそれでも嫌いになるまではいかないことも多々ある。ほとんどがそう。
局の人に振られた話題なんだろうなあ。この話するの決まってたんだろうなあ。過去の話だからなあ。人を見下すような人じゃないの知ってるしなあ。完全にアウトではないなあ。嫌いになりたくないなあ。嫌だって思いたくないなあ。
ビデオ判定して心の中でイエローカードを出して、それでおしまい。イエローカードすら出さないことだってあるし、アイドルのこと大好きな私は所詮アイドルに甘いので2枚で退場にさせたり全然できない。できないけど。

・親しくない他人に性欲向けることを肯定的に描いて
・他人の身体に許可なく触ろうとすることを「男の夢」とか銘打って
・それを「男の友情物語」として肯定的に描くのを
・アイドルが現在進行形でセーフだと考えていることを明らかにして
・大々的にプロデュースして表に出してくる

アウトもアウト、ぜーんぶアウト。
関わる大人の誰もこれをマズいと思わなかったことにも絶望する。
アイドルの客、大半が女ですよ。女って人間なので、踏みにじられたら傷つくんですよ。偶然おっぱい触れたらお前はラッキーって思うかもしれないけどこっちは本気で傷つくんだよ。偶然ならセーフだと思ってた?そうだね偶然なら怒らないかもしれないね。でも触られるのは嫌だし、偶然なら何も気にならないなんてこと全くないよ。女の身体に触れたラッキー!で済ませられたらいいね。触っちゃったのが偶然だったとしてもラッキー!って喜ばれたら本気で怒るし傷つくよ。

なんでラッキー!って思えるの?なんで傷つけた申し訳ないって思わないの?
そういうこと考えるのめんどくさいしそういうこと考え出したら楽しめないもの沢山ある。だから考えたくないんだろうな。考えないでおきたい、考えないでいることすら認識しないでいたい。しずかちゃんが何度お風呂を覗かれても翌週にはケロッとしてるみたいに、あっごめんね!でおしまいにしちゃいたい。触った先に何が起きるのか、触られた相手との人間関係がその先どうなるのか想像を働かせないでいたい。された側の気持ちを考えたくない。
それって突き詰めたら女のこと人間だと思ってないってことになるんじゃないの。触ってラッキー!それでおしまいのただの肉体。自分の欲を満たせて便利で素敵な物体。その先を考えなければただ楽しいだけでいられる。ねえ違うよ。女も人間だよ。


アイドルから「一人前の男と認められたい」って気持ちを感じること、私は結構ある。そんでその「認められたい」は多分男に向けられてる。男に男として認められたい。女にキャーキャー言われるだけのつまんない存在じゃないって思われたい。だから男のファンが嬉しいし、仲良し売り鬱陶しがる人もいる。
でもそこで男らしさアピールに性欲を使わないでほしい。女の肉体をどう扱うかを男同士のコミュニケーションにするのはやめてほしい。

客の方を向け。
違う、客を踏むな。
そもそも人間を踏むな。
でもやっぱ「客なのに踏まれた」ってショックがでかい。女がメイン顧客のコンテンツでさえ女を踏むの、すごくない?

男と女が恋愛するドラマ、男と男が恋愛するドラマ、男が女に勝手に触ろうとするドラマ。
並べた時に「2つ目と3つ目、新しいな!攻めてて面白いな!」とか思わないでくれ。他人の身体を勝手に触るのはエロじゃない。他人の身体を勝手に触るのは恋愛じゃない。他人の身体を勝手に触るのはラブでもエロでもない、暴力だ。人間と人間が恋愛する話と人間が人間に暴力を振るう話を一緒にしないでくれ。人間が他人に暴力を振るうことで友情を深める話をいい話だと思わないでくれ。

これがなんのコメントもなく何事もなかったかのように放送されて客の反応全部なかったことにされたら本気で絶望する。放送されるのはともかく、本人からなんのエクスキューズもなかったら、それが自担なら本気でファン辞めると思う。それくらい無理だ。

これは私にとってレッドカードです。でも今はまだカードを取り出したとこで止まってる。頼むから何か言ってくれ、ぶつけられてる言葉を受け止めて考えてくれ、なんかうるさいこと言われてるなで終わらないでくれ。カードを握る手を「今後を見て決めよう」と下ろさせてくれ。

暴力はエロじゃない。加害を肯定するな。

死ぬ前に見る夢

夢は恐怖か願望どちらかの反映なのだという。

いつどこで聞いた話かもう全く覚えてないのだけれど、その言葉だけが妙に心に残っていてことある事に思い出す。私にとっては夢とはまさにそういうものだからだ。

起きてからも記憶している夢はほとんどの場合恐怖の夢だ。具体的には遅刻と浮気。遅刻しそうになる夢と浮気しそうになる夢を何度も繰り返し繰り返し見る。私は実際には遅刻に対してかなり寛容な職場で働いているし、浮気をしようと思ったことも1度もない。それなのに夢の中の焦燥感はやたらに真に迫っていて、何度夢を見ても毎回毎回本気で焦るからおかしい。
と言いつつ、実は浮気の夢はもう見ない。2ヶ月ほど前に恋人と別れてからぱたりと見なくなった。私が何度も何度も繰り返し見ていたのはこの恋人を裏切る夢だった。誰かと付き合っているのに誰かと浮気する夢、ではなく、恋人(もう元恋人だが)その人と夢の中でも付き合っていて彼を裏切る。裏切りそうになる。夢の中でくらい現実と設定が違ったっていいのに、どんなに荒唐無稽な相手が出てきても私が恋人と付き合っていることだけは必ず現実通りで、彼を裏切る罪悪感に包まれた起床は毎度最悪の目覚めだった。

別れて1番よかったことは浮気する夢を見なくなったことかもしれない。そのくらいには高頻度でこの夢を見ていた。
多分私は本当に怖かったんだと思う。私のことを心から愛してくれている優しい相手を裏切ってしまう日がいつか来るのではないか、こんなに想ってもらっているのにいつか他の誰かを好きになってしまうんじゃないかと、付き合っている間ずっと怖かった。私なりに彼のことを好きなつもりではいたけど、激情に駆られることは全然ない恋愛だった。人を好きになるのがとても苦手な自覚はあるし、「そんなあなたがそこまでするなら相手のことちゃんと好きなんだよ」と友人にはよく言われた。「私から見たら相手のことすごく好きなように見えるよ」とも。それでも怖かった。本当だろうか、本当にこれは「私なりの好き」なんだろうか。ただそんなに相手のことを好きじゃないだけなんじゃないだろうか。それで私はいつか、もう一度他の誰かを今度こそ「本当に好き」になってしまうんじゃないだろうか。
この不安が表れた夢だったんだろうと思う。手を替え品を替え、幾度も幾度も罪悪感に苛まれながら他の誰かに迫られそれを拒絶できない夢を見た。

思えば私の夢は大抵そんな感じだ。遅刻の夢をよく見るのもそう。片思いをしていた高校生の頃も、好きな人が夢に出てくる時はいつもちゃんと現実通りに彼は私ではない人のことが好きだった。現実通りに私は彼に好きとは言えない。夢の中でくらい幸せになれたらいいのに、と何度思ったことか分からない。


ところがこの間、とても珍しく幸せな夢を見た。高校生の頃好きで好きでたまらなかった人が出てくる夢だった。私たちは現実通りにとても親しい友人のまま進学で離れ離れになっていて、今はもう会うことはおろか連絡さえほとんど取っていなくて、とても久しぶりに彼に会った。お互いの今の話をぽつりぽつりとした。
「ずっと付き合ってたあの子とはもう別れた、結局結婚はしなかった。あれから2回恋人ができたよ。お前に言おうと思ったけど、お前相手だからこそ言えなかった」
完璧だった。私が欲しい言葉そのままだった。

その日の朝は起きてからもしばらくぼんやりしていた。現実に帰って来れないとはこういう感じか、とも思った。
そうか、こういう夢もあるのか。恋は叶わなかったけど友達の立場を貫いたことには意味があったんだって思いたい。恋人にはなれなかったけど別の形の特別な存在だったって思いたい。今も特別な存在だって思っててほしい。そういう、ただ願望だけを詰め込んだ都合のいい夢。
こんな夢を毎晩見たら頭がおかしくなりそうだ。夢の中でくらい幸せになりたいってずっと思ってたけど、夢があんまり幸せだと起きてる意味がわかんなくなりそうで少し怖いとさえ思った。
本当は、彼が今どこに住んで何をしていて誰と暮らしているのか、結婚したのか子供はいるのか、私は何も知らない。彼も今の私を全然知らない。私たちは互いにかけがえのない大事で大好きな友人で、けれど今となってはほとんど連絡も取らずとても遠い。それが現実だ。

幸せな夢を見続けることに耐えられないから恐怖の夢ばかり見るのか、単に私の性格として願望より恐怖にフォーカスがいくタイプなのかは分からないが、私にとっては恐怖の夢より願望の夢の方が怖いことがよく分かった。
叶わなかった願望の夢を夜な夜な見るということは裏返せば朝が来る度現実に失望するということだ。朝が来る度あんな思いをして気にしないでいられるほど私は強くない。

これからも夢の中では大体良くないことばかり起こるのだろう。それでいい。幸せな夢を見るのは死ぬ時くらいでいい。

人生は続いてく/映画『罪の声』感想

※映画『罪の声』ネタバレあり


「今更なんの意味があるんですか?」
とうに時効を迎えた未解決事件を特集しようとする新聞記者に、その事件に声を使われた当事者が聞いた。

意味、なんの意味があるんだろう。何も知らずに大人になって結婚して子供が生まれた、亡父を母を妻を娘を愛し腕の中いっぱいに大事なものを抱えた一般人の過去を暴き立ててなんの意味が。

答えに窮して帰っていくスクリーンの中の新聞記者、阿久津を眺めながら、友人のことを思い出した。彼女は私の大学の同級生で、今は地方でマスコミ関係の仕事をやっている。友人もほとんどいない地で不規則な激務をこなす彼女は、何か事件が起こる度に現場や関係者のところに駆けつけるのだという。交通事故、溺死事故、土砂崩れ、自殺、火事――何かが起こる度に遺族のところへ行き話を聞く。時に嫌がられながら教えてくださいと食い下がる。

時に嫌がられる、というのは不正確かもしれない。学生時代より少し痩せて肌の荒れた彼女は、あの頃よりうんと澱んだ目で教えてくれる。「みんな嫌がるよ、何しに来たんだって言われる。今そんなことを話す気になれないです、なんであなた達にそんなこと話さなきゃいけないんですかって。罵倒されることもたくさんあるよ」
なんでそんなことができるんだろう。なんでそんなことに耐えられるんだろう。彼女が別に被害者遺族に取材したくてその仕事に就いたわけではないことを私は知っている。彼女に人の心があって笑うし傷つくし泣くし怒ることも知っている。一般人がぼんやり思い描く「被害者や遺族のことを嗅ぎ回る嫌な奴」「遺族のプライバシーを話題のために書き立てる仕事」にプライドを持つような人ではない。

なんで?と率直に尋ねたら、疲れた顔で答えが返ってきた。
「訪ねていくと、やめてください書かないで、静かにしておいてくださいって言う人の中にごく稀に『書いてください』って言ってくれる人がいるんだよ。『書いてもらうことに意味がある、あの子のことを聞いてくれてありがとう』って。その言葉で頑張ろう、もう少しだけ頑張ろうって思うんだけど、でも上司にはそういう人の言葉を盾に嫌がる人のところにも取材に行けって言われるの」
新聞記者は彼女がずっと目指していた職業だ。決まった時は友達みんなおめでとうと言った。今となっては学生時代の友人たちで集まっても、その場にいない彼女について上がるのは心配の声ばかりになってしまったけれど。

意味、なんの意味。
声を使われた3人の子供のうちの1人である曽根は、最初は取材を拒む。けれど自分の家族と事件の関わりを調べていくうちに、他の2人には自分が当たり前のように手にした「守りたい平凡な幸せ」なんて手に入れられなかったことを知り、事実の追求に意味を見出す。

ただ暴こうとすることと意味のある追求を分けるものはなんだろうか。それを正しく判断できるのは誰だろう。
映画の中では、ともすれば簡単に掻き消されてしまう小さな声、弱い者の声を発すること、残すことが意味として提示された。それも1つの答えだろう。そういう信念があれば挫けずに続けられるのかもしれない。お金のために仕方ないと割り切るか、正しいことをしてると心底信じるか。どちらも出来ない人は脱落していくんだろう。阿久津が脱落しかけていたように。

幼い自分の声を犯罪に使わせたのは母だったと知って、曽根は愛する母にはっきり言う。俺はしない、俺は何があっても娘に同じことはしない。絶対にしない。

子供は子供という生き物ではなく親より後に生まれただけの人間で、親もまた親という生き物ではなく子供より先に生まれただけの人間だ。生まれてから死ぬまで全員が人間で、生まれてから死ぬまでずっと人生は一繋がりだ。
足がつきにくいと思った子供にもその後の人生がある。犯罪に声を使われた事実は何があっても消せない。子供をどれだけ思っていても親にも親の人生がある。刻まれた強烈な憤りに自分で片をつけない限り、子供が生まれたからといって勝手に消えてなくなったりはしない。

人生は続いていく、ずっとずっと、全部が繋がっている。人生のある一時に何かが起きたとして、でもその後にも人生は続くから、だから人間をコンテンツ扱いしてはいけないのだと思う。誰も他人の楽しみになるために生きてはいないし、それを誰かに強いてもいけない。暇を潰すため、紙面を埋めるための物語にするためだけに他人の人生を切り出してはいけない。書かれた後には「書かれたことのある人生」が死ぬまで続くから。

きっともうすぐ別物になる

BLを読んでたら今30かそこらの主人公たちが60歳になった時っていう設定の話で、長年連れ添った相手の手をそっと握って「結婚できないけど」と彼らは改めて愛を誓った。愛に感動するよりもっと手前に「いや流石にできるだろ」って感想が浮かんだ。2020年の設定だとして30年後は2050年。ちょっと前の話だとしてもまあ2040年とか?
いやいや。
いやいやいや。
流石に、流石にできてるだろう。流石に同性婚できてる。できてるだろ、できててくれ。それは私の希望だけど同時に予想でもある。
結婚できるようになってるだろ、と思うと同時に、あぁもう同性同士の恋愛には抜かされるんだなとも思った。抜かされるって失礼な言い方だけど、感覚的にはそれが一番近い。
自分に恋愛は許されないと思って生きてきた。女として不合格の自分に好きになられるのは相手にとって迷惑でおかしいことだと思っていたし、祖母と叔母と姉がうつという血統書つけてもらえそうなメンヘラとして子供を産まないと決めているのもあった。だって気持ち悪いそんなの無理だ。産めないんじゃなくて産まない、その決意への負い目がめちゃくちゃある。
相手の恋愛対象に入ってない。たとえ付き合えても普通に普通の幸せを相手にあげられない。そんな自分の負い目をBLの中に読み込んで、同性を好きになるつらさに自分のつらさを重ねてた。
でも同性との恋愛ってなんの悪いことでもない。まだまだ日本は冷淡で偏見も強いけど、でも緩慢には変わっていってる。だって10年前と今とでちゃんと変わってる。全然違う。今はまだ区が滅びるとかふざけたこと吐かす人もいるけど、これからももっと後ろめたくなくなっていくし、隠すことでもなくなっていく。きっと。そんなすぐにじゃないだろうけど、そうなると思ってるしそうしていきたいと思ってる。そうなる一助が何か出来るならそうしたい。

だからいつか、そんなに遠くないうちに、ダサ芋メンヘラのつらさの投影先としてボーイズラブは向かなくなるんだろう。男が男に片思いするのは女が男に片思いするのと同じようなつらさになり、男が男に振られるのは男が女に振られるのと同レベルの痛みになり、つまりは禁じられた甘美な愛ではなくただの恋愛になるのである。
今はまだそうではないと思う。ヘテロの私が今の日本で「異性愛も同性愛も変わらない」というのは暴言だ。でも少なくとも、そうなる方向に世界は動いてる。緩慢ではあっても少しずつ少しずつそういう方向に世界は動いていてどれだけ鈍重だろうと歩みがとまることはない。

だからいつか、きっと私が生きてるうちに、ダサくてメンヘラな私が恋愛に対して抱く焦燥と罪悪感は同性を好きになるそれよりずっと大きなものになるんだろう。私のつらさが膨らむからじゃなく、向こうのつらさが小さくなるから。そうなってほしい、そうなるべきだと思う、甘美な禁断の愛なんかじゃなくなってほしい。

いつか私のつらさも社会に受け入れられて縮むんだろうか。自分の子供なんて気持ち悪いと唾棄する人間も普通の範疇に織り込まれるんだろうか。そうかもしれないけど想像がつかない。だからただ「置いていかれるんだろうな」と思う。いつまでだろう。あと何年だろう。できるだけ早いといい。早く人間扱いされるといい。でもそうなったらきっと今よりずっと後ろめたくなるんだろうなあ。